『入浴福祉新聞 第8号』(昭和59(1984)年7月31日発行)より
過去の入浴福祉新聞に掲載された記事をご紹介します。
発行当時の入浴や福祉等の状況を少しでもお届けできたら幸いです。
お風呂あらかると 「松の湯」のロシア人
満州事変が勃発した昭和6年、まだ日本人が少なかったハルピンの街に、「松の湯」という銭湯があった。
行ってみると、番台にはちゃんと日本人が座っていて、脱衣場も日本式である。
だが、素っ裸になって引き戸を開けたとたん、ビックリして足を止めてしまった。
狐につままれたかと思い、松の湯…松の湯…と動転しながら、玄関のノレンを思い出そうとしていた。
浴室はモーモーたる湯気で、中がまるで見えないからだ。凄い湿度だし、たちまち息苦しくなった。とにかく風呂には間違いないだろう、と恐る恐る手さぐり足さぐりで歩を進めると、大きな石段らしいものにぶつかった。
ずいぶん高いところに湯船があるんだなあ、と訝りながら登ってゆくと、またまた仰天させられた。
3段目ぐらいで石畳になり、でっぷりと肥ったロシア人が、ごろんと寝転んでいたのである。
なんだ、これは蒸し風呂だったのか…とようやく気がつき、目をこらして見ると、石畳は3坪ほどの広さで、同じようにまるまると太ったロシア人が数人いる。しかも、手に手に青い葉のついた枝をもち、ハタハタと身体を叩いている。
彼らの真似をしてゴロンと横になった。しかし、石畳はそれほど熱くないものの、蒸気と熱気が苦痛でたまらず、5分ともたなかった。シャワーも浴びずに逃げ出したが、ロシア人は微動だにせず、長時間ああやって青葉で身体を打ち続けているのだろう。
ロシア人が好む減量のための蒸し風呂「松の湯」を日本人が経営していたというわけである。
(久)
※発行当時の原稿のまま掲載しております。何卒ご了承の程お願い申し上げます。
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